大和未生流の歩み
▪︎明治18年(1885年)
▪︎明治30年代初め
▪︎明治末期
▪︎大正初期(1913年頃)
▪︎大正3年(1914年)
▪︎大正7年(1918年)
▪︎大正8年(1919年)
▪︎大正15年(1926年)
▪︎大正末期
▪︎昭和初期
▪︎昭和28年(1953年)
▪︎昭和35年(1960年)
▪︎昭和53年(1978年)
▪︎昭和57年(1982年)
▪︎昭和63年(1988年)
▪︎平成元年(1989年)
▪︎平成5年(1993年)
▪︎平成14年(2002年)
▪︎平成28年(2016年)
▪︎平成29年(2017年)
※主たる献花
初代法香斎 奈良にて誕生
初代18才の頃、未生流 西田広隆斎氏に入門
師の遺言によりその跡を継承
従来の生け花に飽き足らず、自らの生け花の世界を深めるために同志と共に新派を結成し、大和未生流と命名する。
華道『教科書 三才之巻』発行 大和未生流 華道師範 法香斎玄甫 著
後の東大寺第202世別当筒井英俊氏はこの頃の同志のお一人であり、このご縁で当流は代々の筒井様から暖かく見守って頂くことになる。
自らの研究と合わせて、弟子の育成にも力を入れ「免状」を授ける。
この頃から、関西のみならず、月の半分は東京で弟子を指導。
円照寺御門跡発行の「花乃志をり」の責任編纂を華務職として行う。(この頃、大和未生流の家元を御門跡にお願いし、自らは円照寺総華務職に就任)
円照寺 近衛秀山様をお迎えし、円照寺山村御殿にて大和未生流の会を執り行う。
奈良女子師範学校教師として『花の活け方』を出版
学校教育における生け花の指導に取り組みお茶の水女子高等師範学校(お茶の水女子大)、奈良女子高等師範学校(奈良女子大)、天理高等女学院(後、大学創設により天理大学)等で指導にあたる。
思うところあり同志と共に円照寺を離れ、流名の漢字表記を「大倭未生流」とする。
この頃発表した作品「大台ヶ原の景」は好評を得、後々まで語り伝えられる。
後進の育成、並びに作品研究にい精力的に取り組み、その成果を「法香」の書名で多数書き残す。
円照寺様が「山村御流」を興されたことを受け、流名の漢字表記を最初の「大和未生流」に戻す。
この頃興福寺本坊で花展
初代家元 法香斎 死去(享年69歳)
初代の嫡男(須山敬二郎)が2代家元法香斎を継承
この頃から時代の趨勢もあり、会員の人数が飛躍的に増加
それに伴い「研究会」を充実させ、会員の水準の向上に努める。
百貨店等での「華展」を定期的に、かつ精力的に開催する。
また外国との交流や「生け花」の紹介にも取り組む。
機関紙『泉』創刊
パリで開催された「日本の心をいける」をテーマとする華展に参加
この年以降韓国との文化交流に尽力し6回にわたり訪韓
大韓民国社会教育文科省より「国際平和賞」を授与される。
奈良シルク博覧会において「日韓親善万葉生け花展」開催に尽力
2代家元 法香斎 死去(享年78歳)
2代家元嫡男(須山章信)が3代家元法香斎を継承
3代法香斎は家元就任以来、初代の精神を尊重し、その数々の遺稿を紐解きつつ作品の研究を行い、研究会・講習会等の充実に取り組む。
併せて組織・機構の整備・拡充に努める。
近鉄百貨店奈良店、近鉄百貨店本店、近鉄アート館、近鉄百貨店上本町店、近鉄百貨店草津店 他 各所にて毎年「華展」開催
機関紙『泉』再刊行開始
奈良新聞への定期的寄稿開始(2017年8月迄で180回)
公開講座開催(奈良市・県の後援)(計24回)等、日本の伝統的美意識に関する「情報発信」を開始し、以降社会貢献にも努める。
3か年計画で「創流百周年記念事業」に取り組む。
・1月 須山章信著『風に立つ花 向かう花』出版 株式会社おうふう より
・機関紙「泉」の百周年特別号発行
・5月 近鉄百貨店あべのハルカス本店で花展
・東大寺(大仏殿開眼1250年慶讃大法要、聖武天皇1250年御遠忌法要、光明皇后1250年御遠忌法要、聖武祭)
・興福寺南円堂落慶法要
・法華寺 光明皇后1250年御遠忌法要
・高野山開創1200年大法会
・漢国神社等各種の行事の際に献花